ASDの子どもって働けるの?
皆さんは、自分の子どもさんが将来働けるか、心配になった事はありませんか?
私は心配でした…
娘はバイトの経験もなかったので……
今回の投稿は
- 幼少期から二人三脚で過ごしてきた娘と私の親離れ子離れ作戦
- 高等専修学校を選び、就活を全力サポートしてもらったこと
についてお話しさせていただきます。
ASDの娘はこれらによって就職活動を成功に収めたと母の私は考えています。
自己紹介
はじめまして!
いつも見てくださっている方はいつもありがとうございます!
私たちにじいろ家族は21歳ASDの娘、23歳の息子、そして母の私の3人で、これまでの怒涛の子育ての中で分かったこと、やってよかったこと、失敗談などを3者の目線から発信しています。
Instagramもやってるのでよかったら見てみてね!
娘の生い立ち
- 3歳:発達障害・知的障害と診断される
(2歳まで言葉を全く発さない、3歳の時は1語分のみ話す、相手の言っていることが理解できない、1日に何回もパニックを起こす) - 4歳:療育を1年間受ける
(2語分のみ話す、1日中パニック、同じクラスの子との関わりが持てない、外食ができない) - 5~15歳:公立の幼稚園、小学校、中学校へ通う(支援学級)
(幼稚園で3語分話せるようになり、小中学校でなんとなく話せるようになる。相変わらず人との関わりは苦手で、中学生の時には人間関係で揉め、学校で大パニックを起こす) - 16~18歳:高等専修学校へ通う
(新たな環境で人生リスタートした気分でスタート。人間関係で引っかかりながらも学校のサポートもあり、なんとか乗り越え、就活も成功させる。) - 19歳~現在:障害者雇用にてアパレルショップのバックヤードで働く
(仕事面での意思疎通が難しい部分もあるが、会社のサポートもありなんとか勤続3年目)
アパレルショップでは配送されてきた洋服の検品、種類別に分けて整理整頓、店舗に並べる洋服の用意、セール期間中の値段表を貼る仕事をメインでやってます!
成功してしまった就活の流れ
- 中学生時代:ASD娘のちょっとした反抗、意志を尊重し、自分で進路を決めさせる
- 高等専修学校入学:親離れ子離れ作戦実施
- 高等専修学校3年生6月:就活開始
- 高等専修学校3年生6月:学校の先生と面談、その後会社の人事の方と面談
- 高等専修学校3年生7月:一週間の職場体験
- 高等専修学校3年生9月:書類作成、提出
- 高等専修学校3年生10月:面接対策、面接
- 高等専修学校3年生1月:内定
娘の就活ははじめから、障害者雇用での就職を目標に動いていたため、一般的な就活とは少し違うスタイルで進んでいきました。会社によって流れも違うと思うのであくまで参考までに!
親離れ、子離れを決心した中学生時代
私とむすめの親離れ子離れの時期は、娘の中学卒業を区切りにしようと決めていました。
何故そう思ったかは、娘が中学2年生のころまでさかのぼります
娘は中学2年生までの間は、私の思い描いていた通りのレ-ルの上を歩んできました。それは母の私がこの道に行った方が良いと思い、娘の意思とは関係なく決めてきました。なので娘は自ら判断して行動したことはありませんでした。
そんな娘と受験したい高校の見学をしていた時、娘が初めて「この学校には行きたくない」と言い始めました。
そう!!自分で選択したのです!!!
でも私は…
なんでやねん!
こっちはあんたの将来を色々考えて、この学校がいいんじゃないのって言ってるのに!!
と思ってしまいました…
でも行きたくないと言われてしまっては親としてもどうしようもないので、娘はどこの学校なら納得するのか中学校の支援学級の先生に相談しました。
そしてその時、先生に紹介されたのが、この後入学することになる高等専修学校でした。
高等専修学校は中学卒業後に通うことができる学校で、学校により特色は異なりますが、ASDの娘が通った学校は社会に出るための教育を行いながら、高卒認定が取れ、就活の支援をしてくれるような学校でした。
その学校の受験内容は筆記テスト(相当簡単やったみたい、名前書いたら合格レベル?)と親子での面接でした。面接時、この学校は無理だろうと勝手に思っていましたが、本人の強い意志があったので無事入学決定となりました。
母の私にとって、今まで大事な決断を自分でしたことのない娘の行動は衝撃的で、それと同時に、娘の将来に関わるようなことには口を出さない方がいいと感じました。
これから社会に出て、娘が家族のほかに大切な人達と関わっていくには、自分で決めなくてはいけないことがたくさんあります。
そのために私は親離れ子離れ作戦は大切なことだと感じ、高校生になったタイミングを機にこの作戦を実行することになったのでした。
完全に親離れ、子離れをした高校生時代
高校生にもなると周りの子供たちも多感な時期で、学校内では色んな事が起こり、その都度直接先生や友達とコミュニケーションを円滑にとっていく必要がありました。
ASDの子供たちにとってはとても過酷な環境…
私もたくさん苦労したよ〜
その環境下に突然、飛び込んだ我が家のASDの娘…
母の私は心を鬼にして、娘に対してよほどのことがない限り、口出しはせず、見守って来ました。
私が先生と話をするのは、懇談会の時ぐらいで、学校での出来事は娘から聞く程度で関わる事は、3年間でほとんどありませんでした。
本当は心配で仕方なかったよ…
でもその過酷な環境で鍛えられたのか、月日を重ねるごとに家族間でも成長を感じるほどコミュニケーションがスム-ズになっていきました!
そして高校三年生になってからは、就活担当の先生と娘の二者面談で、自分の希望する職種(ファッション、コスメ)を伝え、その後、希望する会社の人事の方と面談。
一週間の職場体験(場所を調べ、一人で職場に向かう)、その後の本社での面接(一人で面接会場まで行く)をクリアし、晴れて採用決定という流れで就職しました。
結果的にはうまくいったけど、めちゃくちゃ大変だったんだから〜
ASDの娘の四苦八苦した就職活動
娘の就職活動は上手く乗り切っている様に見えますが、母の私からは娘の特性がかなり邪魔をしている様に見えました。
例えば…
- 面接で相手の目を見ながら話せない
- 緊張すると大きな声で話せない(家の中でも聞こえないくらい)
- 文章をまとめたりすることが一人でできない
普通はかなり致命的状況…
でも母の私としては、全てを完璧にすることは不可能で、いい具合のところでOKを出す必要があると感じました。
- 面接で相手の目を見ながら話す事はできなくても、少しでも目が合えばOK
- 緊張して小さな声になっても、何度も練習してちょっとでも自信がつけばOK
- 書類作成は就活担当の先生と一緒に下書きをまとめ、自宅で清書して、綺麗に書くことができたらOK
こうすることで本人は就活が嫌になって途中で辞めてしまうことなく、最後まで頑張ることができました!
ちなみに実際の面接での質問は
この会社を選んだ動機は?!
洋服は好きですか?!
などなどアパレル関係の簡単な質問をされたそうです。
上手く答えることができたかは本人も緊張のあまり覚えてないと言っていましたが、採用担当者からは、「まじめさが伝わりました」と言われたそうです。
なんでも良い結果なら「結果オーライ!」って考えよう!
どんな結果になっても頑張った経験は子供の心に残りますし!
最終的に、面接から数ヶ月後、学校の先生から内定したことを伝えてもらい、無事就職活動終了となりました!
内定おめでとう!
まとめ
現在、就職3年目になりますが、何とか頑張って働いています。それなりに苦労もあり、まだまだ理解されない場面も多いようですが…
今回のASDの娘の就活成功体験は
- 親離れ子離れがタイミング良く成功した事
- 高等専修学校という学校を選択した事で就活の時期に手厚いサポ-トを受けることができたこと
この2つによって成功につながったと母の私は考えています。
参考になったら嬉しいな〜!!